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新春のつどいでトランペットを吹く
鷲宮地域での『新春のつどい』でトランペットを吹く
2月3日、恒例の『新春のつどい』が開かれました。前半は私から「市政報告」をしました。
内容は、「合併後3年が経とうとしているが、これまでの市政の特徴は、
第1に、公共料金が軒並み値上げ改定になり、市民負担増が進められたこと。
第2には、圏央道、工業団地、大規模商業施設誘致(開店)など開発優先の街づくりが進んだこと。(貴重な農地が どんどん失われていく)
第3には、小中学校での給食の提供方法や、学期制など懸案事項が残されているが市民的な議論がおざなりになっていること。」という点を強調しました。 また、『公共交通』の問題では、公共交通会議の議論や合意の内容も伝えました。 その中でデマンドバスの試験運行の概要を地図を示して説明すると、「どうして菖蒲の人が栗橋や鷲宮に来れないんだい?」とか「デマンドのエリアを越えて走らないと合併したという一体感が感じられないのでは?」という意見が参加者から出されました。 私も「まったく同感ですね。タクシー会社などが民業圧迫しないように、という言い分はよくわかるが、そのことをもって市民の足となる公共交通が利便性後回しではこまる。民間企業がデマンドバスで売り上げが減った分は市が補償すべきだ」と答えました。
そのあと、総選挙でがんばった苗村みつおさんが支援へのお礼を述べて参加者も「ごくろうさんでしたね。でも、伊藤さんの替わりでもがんばってください」と再度奮闘の依頼も。
いやはや、ほんとに候補者になるというのは大変なことだと感じ入りました。最後の「文化行事」は、いつも大正琴の演奏に合わせてみんなで歌声の合唱をするのが恒例でしたが、今回は、私がトランペットの独奏を披露する羽目になりまして、まったく練習時間の確保ができず、(いいわけか?)満場の拍手とはいかなかったのでは、と悔やまれます。
杉野 記
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利根川から見た初日の出。
利根川から見た初日の出
毎年正月は犬吠埼から初日の出を迎えるのだが、今年は相棒の調子が悪く、利根川の土手まで車で行き、そのまま二人で夜明けを待った。 この場所だと筑波山と富士山を眺めながら初日の出を迎えることができる。 暗闇が、やがて地平線から群青色になり、それもだんだんと明るさを増しながら橙色、朱鷺色へ、そして、朱色の太陽が顔を見せるまで美しく色相が変化していく。 まばゆいばかりの金色である。 宇宙の厳粛な営みではあるが、人は「明けない夜はない」とする。 写した時には気がつかなかったが、こうしてみるとこの絵柄はテレビドラマ「仁」の江戸の風景にも見える。 考えてみると、家康は、まだ残っていた江戸の自然、山や丘、を削り、谷や川を埋め、残りは江戸湾の埋め立てをし、当時の世界では稀有な大都市を造った。 書を開けば、江戸の都市計画や庶民文化、技術はすばらしいものだったと分かる。上下水道もあった。交易でやってきた外国人が 「市中にゴミがまったく 落ちていない町を初めて見た」と言わしめた。
それは「屑ーい、おはらーい」の掛け声でやってきた、今で言うリサイクル業者が落ちているゴミはすべて持ち去っていたからである。江戸の大火で燃え残ったり、火消し衆が打ち壊した家屋の残骸は江戸湾の埋め立てに回った。徹底したエコ思想が都市づくりに完結していた。 翻って今はどうだろうか。遠くない将来、首都圏の大震災が想定されている。しっかりした備えをしなければ先人たちにも笑われようものである。「おうおう、てめえら、いったい何を学んだイ」 と。 杉野 記
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望まれる新しい選択
傷つけられたポスター
公示された衆議院選挙だが、今回の選挙ほど国民から突き付けられたものが大きな選挙はないのではないか。 長引く不況の日本に、大震災と原発事故が起こった。 あまりにも大きな「天災と人災」。 「被災地の復興」と 「原発ゼロ」は大きな課題である。福島県内で避難している方は、いまだに16万人という。「いつ、故郷の帰れるのだろうか。いや、もう帰れないかもしれない。それにしても・・・」 あきらめと怒りが錯綜する。 日本国民のほとんどが、この国難を打開する処方箋を欲し、展望を示す政治家を切望しているのではないか。
我々地方議員も、その期待に応えなければならない政治家の一員である。
必要のない減税や軍事費の見直し、企業の内部留保の活用などできることがあるのでは、と、経済の専門家ならずとも、家庭の一主婦もそういう声を上げ始めている。政治が「原発ゼロ」をすぐさま決意し、「自然エネルギーへの転換」に踏み出さなければならない。人間が造った原発という愚かな代物は、人間自身が責任を持って葬らなければならない。それが今の時代に生きる人類の責務であろうと痛感する。 こんなことを言うからポスターさえこんな目に会うのだろうか。 だが、我々も「命がけ」なのである。 杉野おさむ記
公示された衆議院選挙だが、今回の選挙ほど国民から突き付けられたものが大きな選挙はないのではないか。 長引く不況の日本に、大震災と原発事故が起こった。 あまりにも大きな「天災と人災」。 「被災地の復興」と 「原発ゼロ」は大きな課題である。福島県内で避難している方は、いまだに16万人という。「いつ、故郷の帰れるのだろうか。いや、もう帰れないかもしれない。それにしても・・・」 あきらめと怒りが錯綜する。 日本国民のほとんどが、この国難を打開する処方箋を欲し、展望を示す政治家を切望しているのではないか。
我々地方議員も、その期待に応えなければならない政治家の一員である。
必要のない減税や軍事費の見直し、企業の内部留保の活用などできることがあるのでは、と、経済の専門家ならずとも、家庭の一主婦もそういう声を上げ始めている。政治が「原発ゼロ」をすぐさま決意し、「自然エネルギーへの転換」に踏み出さなければならない。人間が造った原発という愚かな代物は、人間自身が責任を持って葬らなければならない。それが今の時代に生きる人類の責務であろうと痛感する。 こんなことを言うからポスターさえこんな目に会うのだろうか。 だが、我々も「命がけ」なのである。 杉野おさむ記
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反原発100万人集会に行きました
反原発と診療所再建支援を訴える小学生
11月10日、雨が降り始めた霞が関周辺に首都圏一円から大勢の人が「反原発、大飯を止めろ、子どもを守れ」の一点に共鳴して集まりました。
私は「虎ノ門」で降りて、文部科学省前、議事堂前、財務省前、東京電力前の大集会をそれぞれ回りました。 これまでの毎週金曜日の行動も何度か参加しましたが、今回も非常に幅広い老若男女の方の参加が特徴的でした。写真は、参加者に小学生が福島県での「診療所の再建支援」を訴えている様子です。診療所が必要なことと、放射能の恐ろしさも合わせて強調していましたが、その話し方といい、内容といい、道行く大人はみんなビックリ!「こういうしっかりした小学生もいるものだ」と感心しきりでした。私も思わず頭が下がりました。
そして、「このどうしょうもない原発を子どもたちや、未来の日本に残すわけにはいかない」と決意を新たにしました。 杉野おさむ記
11月10日、雨が降り始めた霞が関周辺に首都圏一円から大勢の人が「反原発、大飯を止めろ、子どもを守れ」の一点に共鳴して集まりました。
私は「虎ノ門」で降りて、文部科学省前、議事堂前、財務省前、東京電力前の大集会をそれぞれ回りました。 これまでの毎週金曜日の行動も何度か参加しましたが、今回も非常に幅広い老若男女の方の参加が特徴的でした。写真は、参加者に小学生が福島県での「診療所の再建支援」を訴えている様子です。診療所が必要なことと、放射能の恐ろしさも合わせて強調していましたが、その話し方といい、内容といい、道行く大人はみんなビックリ!「こういうしっかりした小学生もいるものだ」と感心しきりでした。私も思わず頭が下がりました。
そして、「このどうしょうもない原発を子どもたちや、未来の日本に残すわけにはいかない」と決意を新たにしました。 杉野おさむ記
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航空防災センターを視察しました
10月23日、久喜地区消防組合議会で視察研修に行きました。視察先は川越にある埼玉県の航空防災センター。ここには県内から選りすぐりの隊員が集められ、ヘリコプターによる「救助活動」や「消火活動」などに従事しています。常に緊急出動できるよう訓練を怠りません。久喜地区消防より派遣された副隊長さんから説明していただきました。
昨年の東日本大震災のときは、被災地に派遣され、がれきに閉じ込められた方や、津波で逃げられなくなった方など多くの被災者の命を救いました。実際にその時の映像が記録の為、撮影されており、研修参加者は、その極限の中での救助活動に、息を呑んでくぎ付けになっていました。 見終わったあと、参加者から思わず拍手と歓声が沸き起こりました。ほんとうにごくろうさまでした。
写真のヘリが新鋭機で約1,5トンの水をためたタンクを装備し、消火にあたります。(ちなみに、1.5トンを吸い上げるのに数十秒でできるそうです。値段は、15億円) 消防の仕事そのものが常に危険と隣り合わせですが、この航空防災センターはさらに危険な作業の連続になります。 隊員のご奮闘に感謝し、安全を祈りながら現地を後にしました。
研修の2日目は東北被災地 でしたが、所用のため参加できず残念でした。 杉野おさむ 記
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