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政治に対する信頼回復がいまこそ必要だ
政治の信頼回復を
この写真は、お馴染みの国会の議場風景である。言わずと知れた「国権の最高機関」である。しかし、いま国民からの国政に対する信頼は、あると言えるだろうか。むしろ大きく揺らいでいると多くの国民が思っているのではなかろうか。
イラクに派兵した自衛隊の「日報隠し」、「森加計(もりかけ)事件」での「公文書改ざん(偽造)」をめぐり、「言った覚えはない」が(実は言っていたことが判明)、「記憶にはない」が(地方自治体の公文書には明記されていた)、「破棄したので存在しない」が(後になって出てきた)。過去の自民党ならば、1件であっても内閣総辞職になっていた。それが、もうキリがないほど続出している。しかも、安倍首相をはじめ、関係者のだれもが、責任を取ろうとはせず、政権にしがみついている。国民は、辟易とし、ほとほと嫌になっている。 これが、いまの日本社会の閉塞感を醸成している所以ではないか。
その昔、といっても40数年前、警視総監から法務大臣にまでなった『秦野 章』氏が言ったことがある。それは「政治家に徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれというのに等しい」と。
彼は、「政治家に道徳性を求めること自体、無理な話であって、求める方が悪い」と言わんばかりであったと私は記憶している。
翻って、今の自民・公明の安倍政権はどうだろうか。彼らに徳目を求める方が悪いのだろうか。私は、そうではないと思う。野党は結束して、この腐敗、堕落した政治を変えようとしている。一部に「安倍政治も悪いが、それを変えられない野党もだらしない」という自称・有識者がいる。そうだろうか? 国民をこれほどまでに騙し、真実を隠し、どんなに不祥事が続こうとお構いなしの政治を許して良いわけがない。
国税庁長官まで上り詰めた佐川氏が「これ以上は、刑事訴追の恐れがあるので、証言を控える」と逃げたことは、国民の記憶にまだ新しい。黙秘権を保障するものではあるが、「逃げ得」とのそしりを免れない。
では、逃げられないようにできないのか、となる。それについては、この6月に施行される改正刑事訴訟法で、導入される刑事裁判での「刑事免責」を国会での証人喚問に取り入れることが、「悪を逃がさない制度」論として有効である。
これを導入すれば、証人は、証言したことをもって訴訟手続きの中で承認に不利益な証拠として使用されることはない」というもので、「司法取引」とは違うもの。証人は、「刑事免責」を認めることで、証言拒否ができなくなり、証言拒絶や偽証をすれば「刑事制裁」が科せられる。
佐川氏に当てはめれば、前回のように逃げることはもうできなくなる。
これは、国会は誰のために存在し、何をなすべきか、を優先して考えるべきで、与野党の共同した検討が必要であると思う。「政治の信頼回復」はすべての政党、議員に課せられているのではないだろうか。わたしはそう思いたい。 杉野 記
この写真は、お馴染みの国会の議場風景である。言わずと知れた「国権の最高機関」である。しかし、いま国民からの国政に対する信頼は、あると言えるだろうか。むしろ大きく揺らいでいると多くの国民が思っているのではなかろうか。
イラクに派兵した自衛隊の「日報隠し」、「森加計(もりかけ)事件」での「公文書改ざん(偽造)」をめぐり、「言った覚えはない」が(実は言っていたことが判明)、「記憶にはない」が(地方自治体の公文書には明記されていた)、「破棄したので存在しない」が(後になって出てきた)。過去の自民党ならば、1件であっても内閣総辞職になっていた。それが、もうキリがないほど続出している。しかも、安倍首相をはじめ、関係者のだれもが、責任を取ろうとはせず、政権にしがみついている。国民は、辟易とし、ほとほと嫌になっている。 これが、いまの日本社会の閉塞感を醸成している所以ではないか。
その昔、といっても40数年前、警視総監から法務大臣にまでなった『秦野 章』氏が言ったことがある。それは「政治家に徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれというのに等しい」と。
彼は、「政治家に道徳性を求めること自体、無理な話であって、求める方が悪い」と言わんばかりであったと私は記憶している。
翻って、今の自民・公明の安倍政権はどうだろうか。彼らに徳目を求める方が悪いのだろうか。私は、そうではないと思う。野党は結束して、この腐敗、堕落した政治を変えようとしている。一部に「安倍政治も悪いが、それを変えられない野党もだらしない」という自称・有識者がいる。そうだろうか? 国民をこれほどまでに騙し、真実を隠し、どんなに不祥事が続こうとお構いなしの政治を許して良いわけがない。
国税庁長官まで上り詰めた佐川氏が「これ以上は、刑事訴追の恐れがあるので、証言を控える」と逃げたことは、国民の記憶にまだ新しい。黙秘権を保障するものではあるが、「逃げ得」とのそしりを免れない。
では、逃げられないようにできないのか、となる。それについては、この6月に施行される改正刑事訴訟法で、導入される刑事裁判での「刑事免責」を国会での証人喚問に取り入れることが、「悪を逃がさない制度」論として有効である。
これを導入すれば、証人は、証言したことをもって訴訟手続きの中で承認に不利益な証拠として使用されることはない」というもので、「司法取引」とは違うもの。証人は、「刑事免責」を認めることで、証言拒否ができなくなり、証言拒絶や偽証をすれば「刑事制裁」が科せられる。
佐川氏に当てはめれば、前回のように逃げることはもうできなくなる。
これは、国会は誰のために存在し、何をなすべきか、を優先して考えるべきで、与野党の共同した検討が必要であると思う。「政治の信頼回復」はすべての政党、議員に課せられているのではないだろうか。わたしはそう思いたい。 杉野 記
テーマ:杉野 おさむ かけあし日記/ コメント(0)/
科学は人類の幸せのために
「つばめ」
[ スターウォーズ」と「つばめ」
久方のブログ投稿。ご覧いただいているみなさん、いつもありがとうございます。きょうは、タイトルからして科学の内容になります。前者は、ご存知の通り、アメリカが進める宇宙空間を使って戦争をしようという計画であり、後者はJAXA(宇宙航空研究開発機構)の超低高度衛星技術試験機の愛称である。「つばめ」が飛ぶ超低高度とは、ほかの多くの観測衛星が周回する高度600から800キロメートルよりも、はるかに「低い」180~268キロメートルとされている。
ここで、すでに多くの方はお気づきのことと思われるが、この低高度は、北朝鮮が先日打ち上げた火星なんとかというICBМ級のミサイルが高度600キロメートル程度なので、それよりもかなり低いところをとぶことになる。
そして、アメリカのGPSの半分ほどの高度でもあるので、これまでよりも解像度が非常に鮮明なデータが得られる。つまり、現在多くの航空機から人工衛星、そして各国のミサイル(もちろん北朝鮮も同様であるが)にいたるまでが「利用している」GPSよりも「はるかに精度の高い」データを得ることができるようになる。
GPSは、曲がりなりにも、軍事転用された場合を想定して7mほどの誤差が生じるように作られたいるが、「つばめ」は報道によると、数センチの誤差で収まるという。
「つばめ」の役割は一般的には、高層大気の観測、重力場や地場の測定などに期待されているとしている。しかし、共同して所管する文部科学省は「つばめ」の開発目的の第一を「安全保障体制の強化」としている。また、08年成立の宇宙基本法も「安全保障」を宇宙政策の柱としている。そればかりではない。2012年のJAXA法改正では「平和の目的に限り」という文言を業務規定から削除してしまった。
そして安倍内閣の下で宇宙政策の司令塔として設置された内閣府の「宇宙政策委員会」では、「つばめ」の位置づけを「有事・紛争地域における即応型の偵察衛星事業とすべき」とされている。
つまりは、最初から軍事目的で飛ばすスパイ衛星であることを安倍政権は認めている、ということだ。12月23日に打ち上げられた「つばめ」のその後の報道がどうなるかは、ともかく、得られたデータは、間違いなく在日米軍と共有し、「利用」される。(例えば、ミサイルの命中度の向上)
科学や技術が戦争のために使われてはならない、科学者・研究者はそれを拒否する、と、多くの大学人が声を上げている。「科学は人類の幸福のためにのみ使われる」また、そうでなければならない。北朝鮮の脅威をことさら強調し、アメリカから大量の役に立たない兵器を購入している安倍政権。軍事費を増やし、社会保障を削り、国民を泣かしている安倍政権。
トランプ大統領に従って、「北に圧力を!対話は必要ない!」というばかりでは、拉致被害家族の帰国が、またさらに遠のくのではないかと危惧をするものである。
杉野 記
[ スターウォーズ」と「つばめ」
久方のブログ投稿。ご覧いただいているみなさん、いつもありがとうございます。きょうは、タイトルからして科学の内容になります。前者は、ご存知の通り、アメリカが進める宇宙空間を使って戦争をしようという計画であり、後者はJAXA(宇宙航空研究開発機構)の超低高度衛星技術試験機の愛称である。「つばめ」が飛ぶ超低高度とは、ほかの多くの観測衛星が周回する高度600から800キロメートルよりも、はるかに「低い」180~268キロメートルとされている。
ここで、すでに多くの方はお気づきのことと思われるが、この低高度は、北朝鮮が先日打ち上げた火星なんとかというICBМ級のミサイルが高度600キロメートル程度なので、それよりもかなり低いところをとぶことになる。
そして、アメリカのGPSの半分ほどの高度でもあるので、これまでよりも解像度が非常に鮮明なデータが得られる。つまり、現在多くの航空機から人工衛星、そして各国のミサイル(もちろん北朝鮮も同様であるが)にいたるまでが「利用している」GPSよりも「はるかに精度の高い」データを得ることができるようになる。
GPSは、曲がりなりにも、軍事転用された場合を想定して7mほどの誤差が生じるように作られたいるが、「つばめ」は報道によると、数センチの誤差で収まるという。
「つばめ」の役割は一般的には、高層大気の観測、重力場や地場の測定などに期待されているとしている。しかし、共同して所管する文部科学省は「つばめ」の開発目的の第一を「安全保障体制の強化」としている。また、08年成立の宇宙基本法も「安全保障」を宇宙政策の柱としている。そればかりではない。2012年のJAXA法改正では「平和の目的に限り」という文言を業務規定から削除してしまった。
そして安倍内閣の下で宇宙政策の司令塔として設置された内閣府の「宇宙政策委員会」では、「つばめ」の位置づけを「有事・紛争地域における即応型の偵察衛星事業とすべき」とされている。
つまりは、最初から軍事目的で飛ばすスパイ衛星であることを安倍政権は認めている、ということだ。12月23日に打ち上げられた「つばめ」のその後の報道がどうなるかは、ともかく、得られたデータは、間違いなく在日米軍と共有し、「利用」される。(例えば、ミサイルの命中度の向上)
科学や技術が戦争のために使われてはならない、科学者・研究者はそれを拒否する、と、多くの大学人が声を上げている。「科学は人類の幸福のためにのみ使われる」また、そうでなければならない。北朝鮮の脅威をことさら強調し、アメリカから大量の役に立たない兵器を購入している安倍政権。軍事費を増やし、社会保障を削り、国民を泣かしている安倍政権。
トランプ大統領に従って、「北に圧力を!対話は必要ない!」というばかりでは、拉致被害家族の帰国が、またさらに遠のくのではないかと危惧をするものである。
杉野 記
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二度と起こしてはならない
日米安保の壁を越えて解決を
17日未明、静岡県下田市沖で米海軍イージス艦フイッツジェラルド号とフィリッピン船籍・日本郵船のコンテナ船とが「衝突」した。私は即座に「またか!」と思った。もう、何度も、何度も繰り返されてきた事件である。これまで、多くの米潜水艦が日本の漁船に、そして、自衛艦がつり船に、「ぶつかって」いる。
とくに、第一富士丸と潜水艦「なだしお」の事件は、忘れようがない。海上衝突予防法では、2隻の船舶が接近した時、「相手船を右舷に見る船に回避義務」があり「左舷に見る船に航路保持義務」があるとされている。あの時、回避義務は明らかに潜水艦側にあった。小さな釣り船は、衝突してわずか1分で沈んだ。乗客48人中、30人が命を落とした。
この事件には、あらゆる罪悪があった。まず、回避義務があるのにもかかわらず潜水艦は避けなかったこと。そして、衝突後、「助けてくれーっ」と叫ぶおおぜいの人を救助せず、見殺しにしたこと。事故後、自衛隊は、警察の聴取に7時間応じなかった。つじつま合わせを必死にやっていたのだろう。(杉野推測)事実、航泊日誌を改ざんしていたことも審判の中で明らかになった。 翌日になって、海上幕僚長は「第一富士丸がぶつかってきた」とする声明を出した。同じ日本人である自衛隊で、こうである。 今回は、アメリカのイージス艦である。事故後、当然のように「公務中のアメリカ艦船の事故調査は、アメリカ合衆国に捜査権がある」日本の警察は、当面、立ち入り禁止とされた。
日米安保条約・行政協定では、アメリカの基地はもちろん、艦船、航空機、戦車、車両、その存在自身がアメリカ合衆国なので、日本国内、領空、領海、すべてを自由に移動ができることになっている。コンテナ船が接近していることを早くから把握していたのに、なぜ衝突を回避しなかったのか、疑問が湧く。自衛隊員の話では、どこかに、しかも普通に「民間人が避けるべき」という気持ちがあるという。
今回ぶつかったフィッツジェラルド号は、j東日本大震災でのアメリカの「トモダチ作戦」に参加した艦船だ。あの時、アメリカもたまには良いことするのか、と思ったが、後になって、作戦の費用を90億円くらい日本政府に請求してきたという。
真相究明が大事になるが、アメリカは「死者数も明らかにできない」という。今後のこともある。アメリカ軍はすべてを公表して、2度とこういう悲しい事故が起こらないようしてほしい、と願うだけである。 杉野 記
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審議会決定の重み 都市計画審議会
これでいいのか 都市計画審議会
去る3月29日水曜日、第3回久喜市都市計画審議会が開かれた。出されていた議案は、第1号が「久喜都市計画地区計画の変更。第2号が「久喜都市計画区域における一般廃棄物施設の敷地の位置について」の2議案だった。
1号は、理科大学撤退後の跡地利用の方針に関して、具体的な決定をしようとする内容であった。すでに議会でも再三にわたって取り上げてきている事案だが、「A地区」は敷地全体の4割に当たる理科大の校舎が多くある部分で、「公共公益施設地区」という位置づけが去れており、すでに、久喜市に無償譲渡されている。この活用に関しては、市民からの意見も聞きながら「教育、子育て支援機能」を中心とした土地利用計画が進んできた。
そしてくだんの巨大な給食センター計画が、「市民の合意なし」で進められていることは周知である。今回、この件はふれないが、都市計画審議会で問題になったのは、「B地区」である。
「B地区」は、明確に「物流施設地区」の位置づけであり、「雇用や、地域の活性化に寄与する」として、積極的に誘導を図るものである。 しかし、である。物流施設を多く手掛けるレッドウッドグループが理科大学と土地の売買契約を結んだという話は、すでにネットでも公表され、地元の区長会は、「大学という教育施設だから認めてきたが、物流施設では、周辺環境が激変する」として、こぞって反対、撤回を求めてきている。しかも、である。倉庫は「ランプウェイ方式のマルチテナント型倉庫」と公表されているが、市の担当者は当時、「こちらもビックリしている」と言っていた。 つまり、市がマスタープランを変更はしつつも、地区計画を定める以前に計画だけが進行してきたことになる。審議会で出された資料には「参考」としながらも、ランプウェイ方式の図面が、示されていた。なぜか。
先日、三芳町で発生した、アスクルの倉庫火災を、久喜市も、しっかり検証し、教訓化を図る必要がある。この関連で、私は審議会で発言した。理科大学跡地、特に「B地区」の周辺には、特別支援学校や、偕楽荘(高齢者デイサービスセンター)などがある。 法と政省令に基づいて造られた倉庫で、あのような重大な事件が発生しているのである。火災などの事件発生のとき、支援学校の生徒や、偕楽荘内にいる高齢者の「避難誘導計画」はどうなっているのか。火災の発生起因者が責任をとればよいのであって、市や、都市計画審議会には関係がない、というつもりであろうか。審議会が地区計画を定めることは、大変な重みのあることであり、決定する前に深慮を要するのではないか。
審議会では、委員長が「異議なし」として進めようとしたので、私は「合意できる内容ではない」として、反対をした。最後に配布された「答申」には変更に関しては「異議なし」ではなく、「賛否の別 賛成」となっていた。反対は私一人であった。
今回の地区計画変更は、地元住民の意向も無視し、周辺環境や、危険の除去に大きな問題がある。将来に禍根を残す結果となったことに対し、強く抗議と遺憾の意を表したい。
杉野 記
テーマ:杉野 おさむ かけあし日記/ コメント(0)/
大した学者に出会った幸せ
歩く「憲法」
木村草太氏
先日、障害者団体主催で、新進気鋭の憲法学者である木村草太氏の講演を聞くことができた。
司会から「テレビやラジオなどで活躍され、おなじみの・・」と紹介されたことに、氏はまず噛みついた。
「テレビで有名だから私を呼んだのであれば、それは失礼な話だ」と。つづけて「憲法の話を鋭くわかりやすく話せる、優れた学者である・・と紹介するならわかるが・・」と。
まことにもっともな弁である。しかも、主催者側が、気を回したのか、自民党の「改憲草案」が氏の講義要点とともに印刷され、配布されていたことに対しても、「べつに頼んでいないのに改憲草案が配られている。こんなものは、捨て置くべきもので、わざわざ印刷して配布するものではない。」と切り捨てた。 なるほど、この人は骨太で、決して妥協しない、正真正銘の憲法学者だと感じ入った次第である。
「憲法は、国家の失敗を防ぐための法律である。」「今の社会に『息苦しさ』が蔓延しているとすれば、それは国家が何らかの失敗をしているということである。」「その解決は、憲法を学ぶことだ。必ず答えは憲法の中にある。」と語った。
沖縄・辺野古への基地建設についても、「外国軍基地を、日本のひとつの内閣の判断で、決めてしまってよいのか?」「それは、地元自治体にとって、自治権を制約することになってしまう。これは、地方自治を定めた憲法に反することだ」と切った。
そのほか、基本的人権についても熱弁を振るった。 あっという間の1時間が過ぎた。
講演後に、先生の本に、私はサインをしていただいた。 これはもう、完全な「ミーハー」である。とにかく、木村氏の言うように、国民が抱いている「閉そく感」「苦しみ」の根源を探り、解決方法を見つけるために、もっともっと憲法を学ぼうと、改めて決意した1日だった。
杉野 記
木村草太氏
先日、障害者団体主催で、新進気鋭の憲法学者である木村草太氏の講演を聞くことができた。
司会から「テレビやラジオなどで活躍され、おなじみの・・」と紹介されたことに、氏はまず噛みついた。
「テレビで有名だから私を呼んだのであれば、それは失礼な話だ」と。つづけて「憲法の話を鋭くわかりやすく話せる、優れた学者である・・と紹介するならわかるが・・」と。
まことにもっともな弁である。しかも、主催者側が、気を回したのか、自民党の「改憲草案」が氏の講義要点とともに印刷され、配布されていたことに対しても、「べつに頼んでいないのに改憲草案が配られている。こんなものは、捨て置くべきもので、わざわざ印刷して配布するものではない。」と切り捨てた。 なるほど、この人は骨太で、決して妥協しない、正真正銘の憲法学者だと感じ入った次第である。
「憲法は、国家の失敗を防ぐための法律である。」「今の社会に『息苦しさ』が蔓延しているとすれば、それは国家が何らかの失敗をしているということである。」「その解決は、憲法を学ぶことだ。必ず答えは憲法の中にある。」と語った。
沖縄・辺野古への基地建設についても、「外国軍基地を、日本のひとつの内閣の判断で、決めてしまってよいのか?」「それは、地元自治体にとって、自治権を制約することになってしまう。これは、地方自治を定めた憲法に反することだ」と切った。
そのほか、基本的人権についても熱弁を振るった。 あっという間の1時間が過ぎた。
講演後に、先生の本に、私はサインをしていただいた。 これはもう、完全な「ミーハー」である。とにかく、木村氏の言うように、国民が抱いている「閉そく感」「苦しみ」の根源を探り、解決方法を見つけるために、もっともっと憲法を学ぼうと、改めて決意した1日だった。
杉野 記
テーマ:杉野 おさむ かけあし日記/ コメント(0)/