<<前のページ|1047|1046|1045|1044|1043|1042|1041|1040|1039|1038|1037|次のページ>>
終わりなんかじゃない!これからだ!
力を合わせよう!
鷲宮地区 わし宮団地内の「銀の笛幼稚園」跡
銀の笛幼稚園の園児たちの声が途絶えて数年が過ぎた。とうとう取り壊しなのだろうか。1970年代の「あこがれの団地」生活を、働き、子育てしながら駆け抜けた世代は もう70代になった。
同時に全県でも突出した「地盤沈下地域」だった団地。大雨のたびに大量の雨水が、低くなった銀の笛幼稚園に押し寄せた。
UR都市機構(当時、都市整備公団)は何らの手立ても講じなかった。園は、冠水し、水が引き、園内の清掃が終わり、安全衛生上、環境が整うまで幼児教育どころではなくなっていた。
長い間、保護者や保育士さんたちの献身だけでしのいできた。
私も地元議員として、UR都市機構に掛け合い、市行政との連携で遊水池造成の策や、道路かさ上げなどに向けて調査と協議を重ねていただいた。人事異動の影響などで協議が停滞気味の印象も受けた。(私の個人的見解)当時の双方の関係者にはこの場からも御礼を申し上げたい。
当事者は、裁判も起こしたと聞いたが、万策尽きて当人も亡くなってしまった。わし宮団地は、幼稚園跡地も含めて3街区全体を1・2街区に集約化していく計画を進めている。
URとしては、住宅の新設は行わないと決めているので、提案している街づくりの案に合意する業者が、買い取った後に開発を進めるのではないかと思われる。
先ごろ、団地内商店街で孤軍奮闘してきた駄菓子屋「だるまやさん」が閉店した。最後の数日間、名残りを惜しむ子どもたちといっしょに御主人と語り合った。団地の子どもたちでいっぱいだった上内小学校も、教育委員会は廃校を決めた。
でも誰もいなくなったわけではない。これからこそ、真剣な街づくりが問われている。そのためにみんなで力を合わせるしかないのだ!
杉野 記
鷲宮地区 わし宮団地内の「銀の笛幼稚園」跡
銀の笛幼稚園の園児たちの声が途絶えて数年が過ぎた。とうとう取り壊しなのだろうか。1970年代の「あこがれの団地」生活を、働き、子育てしながら駆け抜けた世代は もう70代になった。
同時に全県でも突出した「地盤沈下地域」だった団地。大雨のたびに大量の雨水が、低くなった銀の笛幼稚園に押し寄せた。
UR都市機構(当時、都市整備公団)は何らの手立ても講じなかった。園は、冠水し、水が引き、園内の清掃が終わり、安全衛生上、環境が整うまで幼児教育どころではなくなっていた。
長い間、保護者や保育士さんたちの献身だけでしのいできた。
私も地元議員として、UR都市機構に掛け合い、市行政との連携で遊水池造成の策や、道路かさ上げなどに向けて調査と協議を重ねていただいた。人事異動の影響などで協議が停滞気味の印象も受けた。(私の個人的見解)当時の双方の関係者にはこの場からも御礼を申し上げたい。
当事者は、裁判も起こしたと聞いたが、万策尽きて当人も亡くなってしまった。わし宮団地は、幼稚園跡地も含めて3街区全体を1・2街区に集約化していく計画を進めている。
URとしては、住宅の新設は行わないと決めているので、提案している街づくりの案に合意する業者が、買い取った後に開発を進めるのではないかと思われる。
先ごろ、団地内商店街で孤軍奮闘してきた駄菓子屋「だるまやさん」が閉店した。最後の数日間、名残りを惜しむ子どもたちといっしょに御主人と語り合った。団地の子どもたちでいっぱいだった上内小学校も、教育委員会は廃校を決めた。
でも誰もいなくなったわけではない。これからこそ、真剣な街づくりが問われている。そのためにみんなで力を合わせるしかないのだ!
杉野 記
テーマ:杉野 おさむ かけあし日記/ コメント(0)/
この記事にコメントする