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「国葬」の中止を求める意見書 葬儀予定日前に採決する「先議」を依頼したが・・
残念な結果というほかない。
8月24日、久喜市議会の議会運営委員会でのできごとです。
表題にある、「国葬」についての意見書を提出するにあたり、「採決」が議会最終日の9月30日だと、政府が予定している「国葬」は9月27日ということから、効果的な意見書としてまにあわない。「採決」を早めて「先議」として、扱ってほしいと要請したものです。結果は、採決となり「先議」扱いはしないということになりました。「先議」に賛成したのは、市民の政治と日本共産党の議員のみでした。
久喜市議会における、議会運営の在り方として「先議」は認めないと否定したものです。
私は、市長が提案する議案で、日程の関係から急ぐので「先議」して採決してほしいということは、よくあり、毎議会あると言ってもいいぐらいです。議運で「先議」がダメとしたことは一度もありません。そのような事例に照らしても、この結果については疑問です。
今後改める必要があると感じています。
今回の結果は、議員が自ら提案する議案、地方自治法に基ずく「意見書」の「先議」はダメというのは、議員自らの意見表明において、効果的な時期に提出する機会をつぶしたものと言わざるを得ません。
「先議」に反対の意見として、政府はすでに「国葬」について閣議決定している、決定しているのだから、「先議」しても・・・という意見がありました。
政府のその決定に問題があるから、考え直し、中止すべきだというのが、今回の意見書です。未執行の前に届けることによって、政府が考え直す可能性は、時間的にも政治的にも「ゼロ」ではありません。
もし、日本全国の自治体から、同様の意見書がだされたとしたら、政府も考えざるを得なくなることもあり得ます。国民の多数が「国葬」には反対との意思を示しているのですから・・。
これまで、すでに決定し執行されている内容のものであっても「意見書」として提出して来たことは数多くあります。少数意見であっても、意見をぶつけ合う中で、理解が深まり、前に進んでいくものが数多くあります。
私は、それが「民主主義」のすばらしいところだと理解しています。
「先議」の扱いについて、久喜市議会で改めて議論し続けていきたいと思います。
石田利春 記
8月24日、久喜市議会の議会運営委員会でのできごとです。
表題にある、「国葬」についての意見書を提出するにあたり、「採決」が議会最終日の9月30日だと、政府が予定している「国葬」は9月27日ということから、効果的な意見書としてまにあわない。「採決」を早めて「先議」として、扱ってほしいと要請したものです。結果は、採決となり「先議」扱いはしないということになりました。「先議」に賛成したのは、市民の政治と日本共産党の議員のみでした。
久喜市議会における、議会運営の在り方として「先議」は認めないと否定したものです。
私は、市長が提案する議案で、日程の関係から急ぐので「先議」して採決してほしいということは、よくあり、毎議会あると言ってもいいぐらいです。議運で「先議」がダメとしたことは一度もありません。そのような事例に照らしても、この結果については疑問です。
今後改める必要があると感じています。
今回の結果は、議員が自ら提案する議案、地方自治法に基ずく「意見書」の「先議」はダメというのは、議員自らの意見表明において、効果的な時期に提出する機会をつぶしたものと言わざるを得ません。
「先議」に反対の意見として、政府はすでに「国葬」について閣議決定している、決定しているのだから、「先議」しても・・・という意見がありました。
政府のその決定に問題があるから、考え直し、中止すべきだというのが、今回の意見書です。未執行の前に届けることによって、政府が考え直す可能性は、時間的にも政治的にも「ゼロ」ではありません。
もし、日本全国の自治体から、同様の意見書がだされたとしたら、政府も考えざるを得なくなることもあり得ます。国民の多数が「国葬」には反対との意思を示しているのですから・・。
これまで、すでに決定し執行されている内容のものであっても「意見書」として提出して来たことは数多くあります。少数意見であっても、意見をぶつけ合う中で、理解が深まり、前に進んでいくものが数多くあります。
私は、それが「民主主義」のすばらしいところだと理解しています。
「先議」の扱いについて、久喜市議会で改めて議論し続けていきたいと思います。
石田利春 記
テーマ:議会の動き・久喜市のホットニュース/ /