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死なず 殺さずに来れたのは すばらしいこと。 そしてこれからも
可愛くて おかしくて 笑ってしまいます。 この幸せを 平和であることと重ね合わせて思ってしまいます。
憲法記念日に思う 憲法9条を生かす政治を今こそ
私は昭和23年の生まれです。いわゆる団塊の世代です。憲法は私よりも1年先に誕生していました。そのせいなのでしょうか。「戦争は二度としてはいけない」「人間は言葉が違っても話し合いができるのになぜ戦争をするのだろう。」そんな思いを子どもの時考えていたように思います。
今日は憲法記念日です。1947年(昭和22年)5月3日から施行された日を記念して定められました。今日は憲法について考えてみたいと思います。
「憲法」という言葉を、話しかけると「むずかしいことはわからない」との言葉が返ってきます。正直なところ、私もそういう思いがあります。ただ、最近は「むずかしい」ということで、脇に置いてしまっていいのかなと思います。
特に、安倍政権になってから、憲法を変える条文96条の要件を変える。この夏に行われる参議院選挙で、国民に真を問うというところまで来ているからです。なぜ96条を言いだしたのか、それは憲法9条を変えたいとの思いがあるからです。
憲法というのは、法治国家の中で最高の法律で、いろんな法律は、憲法の基に定められているものだと思っています。いろんな法律ですらよくわかっていないのですから、増して「憲法」を論じるなど、それこそ論外かもしれません。
ただ、そうであっても、今の憲法ができてから以降、「自衛隊」という「軍隊」ができ、海外に派兵するようになっても、自衛隊は一人の戦死者も出さず、外国人も一人も殺さずに来ました。それは、憲法9条があったからだ思います。
イラク戦争の時、「アメリカ軍の若い兵士が血を流す覚悟で日本の船を守っている。なのに、日本の自衛隊は何もしなくていいのか」として、自衛隊が海外に出ていきました。その時でも、日本の自衛隊は「憲法9条」があることによって、「武力」は使えないとして来ました。だから、外国人を殺さず、自衛隊も戦死せずに来たのです。
だから、憲法9条は変えてほしくない。変えてしまえば、人間同士が殺し合う「憲法」になってしまうように思うのです。
憲法第9条
第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
世界には紛争は絶えません。しかし、その解決を「武力」にたよるのでなく、話し合いによって解決することはできると思います。人類は言葉を持っているのです。何年かかってもいい、紛争をしている国の人たちと話し合いによって解決することはできると信じています。政治的に言えば「外交力」だと思います。
北朝鮮がミサイルを打って来ても「黙ってみているのか」と問う人がいます。この問に対する答えは、そうならないように、そうなる前に「話し合い」による解決に力をつくすのが、平和憲法の考え方だと思います。
「黙ってみているのか」という人に言いたい。だまって見ている前に、「話し合って解決しようじゃないか、腹を割って話し合おう」という努力をしたのかと。もちろんミサイルを打つぞと、脅しをかける北朝鮮もゆるされませんが、「そんなことが解る相手じゃない」と言って、話し合いの努力をしないのは駄目です。
武器を売って利益出す企業、会社が「そんなことが解る相手じゃない」と言うのは、わかります。そう言わなければ利益が出ず、会社が存続しなくなるのですから。まさか、そんな企業から政治献金を受け取り「そんなことが解る相手じゃない」などと発言する政治家はいないと思いますが、企業から献金を受け取っている政党はありますね。
私は、この地球上で軍隊が持つ「武器」をつくるお金が、食料や医薬品など、人間を救うために使われることになれば、どれだけの人を救うことができるだろうかと思います。そういう日が来ることを願うのは「夢」でしょうか。
武器を作るお金は、国民が収める「税金」で作られます。
石田としはる 記
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