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元気いっぱいの上内小運動会
がんばれ!上内っ子
少し前になるが、5月18日に上内小学校の運動会におじゃまさせていただいた。 写真の右側には白組がいて、全学年の児童数108名での競技になった。一学年平均18名と聞くと「すくないねー。かわいそう」という大人もいる。しかし、そうだろうか。 たしかに上内小は、昭和46年に団地・学校ができてかつてマンモス校(125o名)として有名だった。団地の住民の大半は、青年期に入居して子育てもし、その人生を日本経済の発展や町の発展と共に過ごし、貢献してきたのではないか。その意味では、大きな役割を果たしてきたと思う。その2世代目である40代以下の青年や、特に 平成生まれの若者たちは、不況下に生まれ、育ち、景気のいい時を知らない世代だ。その子どもたちを見て「すくない」と言う前に、励ますことが大事ではないか。 そして、こういう現実を私たちの世代が作ってきたということを直視し、「元気の出る支援」をともに作りだすことが必要と思う。学校も「ひとみかがやく上内の子の育成」を教育目標にかかげているではないか。「一人ひとりの児童に目の届く教育の推進」をめざしているではないか。
むしろ、その実践が可能な条件を活かしていくことに、私たちがどれだけ真剣になるかどうかにかかっている。 杉野 記
(ちなみに、私は高松市の紫雲中学を出たが、当時、日本一のマンモス校で、最大時3500名の生徒数だった。1学年の平均クラス数は26組。 生徒はもちろん、卒業するまで顔を見たこともない先生もいた。)
少し前になるが、5月18日に上内小学校の運動会におじゃまさせていただいた。 写真の右側には白組がいて、全学年の児童数108名での競技になった。一学年平均18名と聞くと「すくないねー。かわいそう」という大人もいる。しかし、そうだろうか。 たしかに上内小は、昭和46年に団地・学校ができてかつてマンモス校(125o名)として有名だった。団地の住民の大半は、青年期に入居して子育てもし、その人生を日本経済の発展や町の発展と共に過ごし、貢献してきたのではないか。その意味では、大きな役割を果たしてきたと思う。その2世代目である40代以下の青年や、特に 平成生まれの若者たちは、不況下に生まれ、育ち、景気のいい時を知らない世代だ。その子どもたちを見て「すくない」と言う前に、励ますことが大事ではないか。 そして、こういう現実を私たちの世代が作ってきたということを直視し、「元気の出る支援」をともに作りだすことが必要と思う。学校も「ひとみかがやく上内の子の育成」を教育目標にかかげているではないか。「一人ひとりの児童に目の届く教育の推進」をめざしているではないか。
むしろ、その実践が可能な条件を活かしていくことに、私たちがどれだけ真剣になるかどうかにかかっている。 杉野 記
(ちなみに、私は高松市の紫雲中学を出たが、当時、日本一のマンモス校で、最大時3500名の生徒数だった。1学年の平均クラス数は26組。 生徒はもちろん、卒業するまで顔を見たこともない先生もいた。)
テーマ:杉野 おさむ かけあし日記/ コメント(0)/
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