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課せられたものは大きい
戦争展での「熊谷空襲」語り部
去る11月10日、菖蒲アミーゴで4日間にわたり平和を願う「戦争展」が開催された。語り部の方は熊谷空襲の悲惨な体験を語り、平和な世の中でこそ個人も社会も「花が開く」ものであることを強調していた。
写真は、氏が教職として、空襲の話を聞かせた子どもたちに「聞いたことを絵に描く実践」をした際の絵である。こどもたちには「将来、この絵を平和のために使うから、」と了解を得て保存していたそうである。
絵をお見せできないのがとても残念である。 極めて感受性が豊かでしかも、「凄みのある描写」の絵ばかりである。平和を語り継ぐということは、一種、工夫も必要な戦いであると感じた次第である。
映画「はだしのゲン」を観る参加者
戦争展では、「はだしのゲン」の実写版映画を鑑賞した。中井貴一が主演であったが、わたしは、恥ずかしながら、彼がこんなにも激しく、情念すら感ずる演技をするような役者だとは知らなかった。
子役のふたりも最高によかった。改めて映画の持つ力を再認識させていただいた。 いまさらながら、ではあるが、あの原爆は、広島も長崎も「アメリカの生体実験」であった。 大事な資料はGHQが持ち去ってしまったが、強烈な放射線被ばくは、ヒトの染色体異常をもたらし、孫子の代まで苦しめて行くという「人道に反する化学兵器」を使ったという事実を消すことはできない。わたしたち一人一人が「ゲン」になって頑張らねばならない。 もちろん、すべての国の核兵器を無くすまで。
星になったアンパンマン
やなせたかしさんが逝ってしまった。しんぶん赤旗にも登場し、意気軒昂だったのに。 残念。 メディアやブログで氏の功績を讃え、死を惜しむ声が絶えなかった。 書こう、と思いつつ、なかなか決意できなかった。ひもじい人に自分の顔を分け与えるという「究極の自己犠牲」である。歌詩がすばらしいことは言うまでもない。くじけそうになる子どもや大人にさえ、勇気と希望を与えてくれた。
そのほんの少しだけでも見習いたいと思う。 (杉野 記)
テーマ:杉野 おさむ かけあし日記/ コメント(0)/
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