<<前のページ549548547546545|544|543542541556555次のページ>>

サリン事件から20年で思うこと

『裁かれるべきもの』
 この間、多忙で記事を更新できず猛反省をしております。3月20日は、「地下鉄サリン事件」から20年の節目で、マスコミ各社も一定の記事や、番組の企画があった。 しかし、事の本質に迫るようなものは1件も見当たらなかった。 

 坂本弁護士一家と聞けば、ご存知の方も多いはずだ。写真のような、新進気鋭の正義感あふれる若手弁護士と、その妻(さとこさん)、長男(たつひこちゃん1歳)が1989年11月4日未明に忽然として姿を消した。翌日のしんぶん赤旗には、現場に血痕が20数か所残されており、プルシャ(オウムの幹部が身に着けるバッチ)が落ちていたことが報道されていたことを、私は鮮明に覚えている。事件性は明らかであった。しかし、神奈川県警は「事件性なし」として捜査をしなかった。(約6年間も)

  坂本弁護士は当時、オウム出家家族からの訴えで、出家者と家族を面会させることや、脱会者からの相談などをうけて、オウム幹部と話し合っていたが、決裂したことを受けて民事訴訟の準備をしていた矢先であった。

一方、オウムはその年に宗教法人に登録され、翌年には衆議院選挙に候補者を出す準備をしていたという「重要な時期」であった。 のちに自供した岡崎一明ら6人の殺人鬼は、麻原代表の「家族もポアしなさい」の命令をうけ、押し入ったその場で3人を殺害した,とされる。

 当時、警察が常識的に判断し、オウム真理教を犯罪捜査をしていれば、少なくともサリン事件は防げたはずである。 なぜ、警察はオウムを捜査しなかったのか。いや、逆に記者クラブでは、「坂本弁護士は、弁護士事務所の金を持ち逃げした疑いがある」などとウソまでついている。 
 なぜか? 坂本弁護士と所属する「横浜法律事務所」は、殺害された3年前の事件を通じて神奈川県警から敵視されていたことは有名な話である。 

それは「日本共産党副委員長・国際部長 緒方靖夫宅盗聴事件」であり、盗聴していたのが神奈川県警の公安警備部の複数の現職警察官であった。
(詳細は省くが、1997年に東京高裁は、国と県に賠償命令し刑は確定している) 坂本弁護士の事件を「失踪ではなく、拉致・誘拐事件として捜査を」と迫る関係者に神奈川県警の担当者は「おれらを散々敵視しておいて、今度は命を救えっていうのか」とにらみつけたという。
何をかいわんやである。 恥知らずな警察犯罪を棚に上げ、予見できたオウムの犯罪を結果的に見逃してしまった。

 その当時の警察庁警備局長は盗聴をあばかれた責任をとって辞職し、実行した警察官は入院先で死亡したといわれる。
  私たちは時代劇を見ているのではない。現実社会でおこっていることである。「裁かれるべき者」が裁かれない社会であってはならないと私は思う。 少なくとも正義を貫く。それが国民政党としての責任である。  杉野 記

2015.05.07 14:54:18

テーマ:杉野 おさむ かけあし日記/ コメント(0)/

この記事にコメントする

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
パスワード

ページの先頭へ▲