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年金者組合久喜支部の16回定期支部大会に参加しました
議事のなかでは、1年間のたくさんの活動が報告され、活動予定では、学びながら、楽しみもいっしょにすすめる方針が可決されました。なかなか年金者組合の人たちとハイキングに行ったりお誕生かいに参加したりができず、残念ですが、できる限りいろいろな行事に参加して皆さんのお話を、聞きたいと感じています。
総会の後のお誕生会では、介護の久喜市の現状や、「とねっと」の質問がで、てとても高齢化を迎えている久喜市の問題点を指摘するお話がだされました。平成19年から比べて65歳以上の高齢者が23.9%も増えている久喜市です。少子高齢化は本当に喫緊の課題です。 記 渡辺まさよ
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久喜市6月議会 公務員の方は大変な事態 あなたの暮らしの決め事 何かが変わる
久喜市議会 6月議会が始まりました。
一般質問は6月12日 水曜日からです。
日本共産党議員団は
12日 と 13日に登壇します。
http://www.city.kuki.lg.jp/section/gikai/shitsumon/H25/shitsumonH25.06.pdf
質問内容など ↑ クリックして 見て下さい。 質問者全員の内容が見れます。
本会議はインターネツト中継が始まりました。
傍聴にも 是非おいでください。
名前を書く事もなく、どなたでも傍聴できます。
久喜 本庁 五階エレベーターおりると、すぐ 議会事務局があります。
案内していただけます。
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久喜んこの総会に参加して
今年も保育ボランテア養成講座や、小中学校への赤ちゃん訪問、赤ちゃんサロン、など様々な活動をするようです。私もこれまで、久喜中学校の家庭科の授業の一環として、赤ちゃん訪問をしました。子どもたちの変化する様子がよく見えてとても意義のある事業だとおもいます。写真は、当日の、総会後の「わらべうた」をみんなで歌ってあそんでいるところです。久喜んこの中にも、新しい風が欲しいところですね。
記 渡辺まさよ
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原発を考える久喜地域連絡会を発足しました
政府が安全だとして進めた政策です。それを忘れたかのように、再稼動させたり、原発を輸出したりしてはならないのです。
6月2日の原発をなくす久喜地域連絡会には70名の方が参加してくれました。本当にありがとうございます。鵜沼さんのお話は、これまでマスコミでは報道していないことがたくさんあり、原発のおそろしさをつくずく感じさせられました。
生き物がまるでいない町、白骨化した牛の山、そのまわりのからすのやま、真っ黒のねずみの死体、なにもかも今までどうりに返してもらいたい、「お金などいらないから、もう一度ふるさとで生活できるようにしてほしい。」という言葉を阿倍首相に聞いてほしいとおもいます。自分がその立場だったら、再稼動ができますか?といいたいです。まして、他国に売りにでることなど、できないのが、本来ではないですか。国民の生活現状を見ていないことがはっきりとしていますね。
当日の運営は進行表がなかったり、資料が見づらかったり、お話が長くなってしまい(講演に慣れていない方だったため)最後がおせおせになってしまい皆様にご迷惑をおかけしました。鵜沼さんのお話はとてもよかったのですが、打ち合わせをもう少ししっかりとしていればよかった、とおもいます。今後どのように進めていくのか、改善しながら、みなさまの意見を聞きながら一緒に進めていこうとかんがえています。ありがとうございました。
ぜひいろいろな方に参加していただきたいとおもいます。 記 渡辺まさよ
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飯舘村の人たちは何故避難が遅れたのか あなたは知っていますか
その一枚です。 原発事故前であれば、苗が植えられ、さわやかな風が吹き、みどりがいっぱいの飯舘村
負げねえど 飯館!
花はきっと、咲きます
(2013年3月11日号のかわら版見出しです)
2013年6月1日 福島県 飯館村を訪ねる機会を得ました。現地で被災を受けた方が同行していただき、生の声を伺う機会を得ました。 原発事故の中でも高濃度の放射能被爆を受け続けた飯舘村の人たちのお話は大変貴重なお話ばかりで、心からのお見舞いと感謝を申し上げます。
東日本大震災、福島原発事故による被害は、これまでのマスコミから知っていたものとは、大ちがいで想像以上に深刻なものでした。
なぜ、飯舘村の人たちはすぐに避難しなかったのか。
「原発に事故が起きたら飯館に行けば、安全だわ」と浪江町の方が事故前に言っていたように、30キロ以上離れていたことが、原発は絶対安全という「安全神話」が増幅され、国から避難指示もなく、「安全です心配ありません」という国の当初の説明。そんな中でも、もしかしたらここの地域も放射能が来ているのではという不安と「安全」であってほしいという「安全」への願望が交差する中、村民1200名が集められ、大学教授の専門家の「安全宣言」にほっとした村民の方の思いは、どんなに嬉しかったことでしょう。すでに、3.11から一ヶ月が過ぎていました。
しかし、その翌日には国から避難命令が出されました。子どもも含め飯館村の多く人たちが一ヶ月以上高濃度の放射能被爆を受けさせられたことになります。
避難も自主避難で安全な場所に誘導されたわけではありませんでした。
「喜び」は不審と怒りに変わった。その時の思いを、もし、自分であったらと思いめぐらした時、言葉が見つかりません。
原発はただちに廃止すべき。放射能は目に見えません。2013年6月1日の飯舘村には青空のもと、さわやかな風が、豊かな自然のなか吹き抜けているように見えました。放射能さえなければ、農業を中心とした飯舘村の豊かさを胸いっぱいに感じることができたことでしょう。
放射線量をみると、久喜市の除染基準をはるかに超える値が目に飛び込んで来ました。 飯舘村 どのような形で今後 存続することができるのでしょうか。
原発はただちに廃止すべき。
原発は経済活動の上で必要と言う人は、飯舘村に来てこの現実を見てほしい。それでも原発を再稼働すべきと言えるでしょうか。
経済的利益が出れば何をしてもいいのか。そんなことはない。経済的利益は人間がしあわせになるための経済でなくてはならないと思います。それを、企業にも社会的責任があると言うのでしょう。
国と東京電力は、常に真実を伝え、全力を上げて、被爆した方への補償をすべきです。 何年かかろうともやりとげるその決意を示すべきです。
「原発はただちに 廃止することを 宣言すべき」、飯舘村を訪れ、あらためて確信した日となりました。
石田としはる 記
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