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飯舘村の人たちは何故避難が遅れたのか あなたは知っていますか

飯舘村2013.06.01の「自然な風景」写真 クリックしてください

その一枚です。 原発事故前であれば、苗が植えられ、さわやかな風が吹き、みどりがいっぱいの飯舘村 
                        


負げねえど 飯館!  


 花はきっと、咲きます


(2013年3月11日号のかわら版見出しです)





2013年6月1日 福島県 飯館村を訪ねる機会を得ました。現地で被災を受けた方が同行していただき、生の声を伺う機会を得ました。   原発事故の中でも高濃度の放射能被爆を受け続けた飯舘村の人たちのお話は大変貴重なお話ばかりで、心からのお見舞いと感謝を申し上げます。





東日本大震災、福島原発事故による被害は、これまでのマスコミから知っていたものとは、大ちがいで想像以上に深刻なものでした。





なぜ、飯舘村の人たちはすぐに避難しなかったのか。





「原発に事故が起きたら飯館に行けば、安全だわ」と浪江町の方が事故前に言っていたように、30キロ以上離れていたことが、原発は絶対安全という「安全神話」が増幅され、国から避難指示もなく、「安全です心配ありません」という国の当初の説明。そんな中でも、もしかしたらここの地域も放射能が来ているのではという不安と「安全」であってほしいという「安全」への願望が交差する中、村民1200名が集められ、大学教授の専門家の「安全宣言」にほっとした村民の方の思いは、どんなに嬉しかったことでしょう。すでに、3.11から一ヶ月が過ぎていました。




しかし、その翌日には国から避難命令が出されました。子どもも含め飯館村の多く人たちが一ヶ月以上高濃度の放射能被爆を受けさせられたことになります。




避難も自主避難で安全な場所に誘導されたわけではありませんでした。




「喜び」は不審と怒りに変わった。その時の思いを、もし、自分であったらと思いめぐらした時、言葉が見つかりません。




原発はただちに廃止すべき。放射能は目に見えません。2013年6月1日の飯舘村には青空のもと、さわやかな風が、豊かな自然のなか吹き抜けているように見えました。放射能さえなければ、農業を中心とした飯舘村の豊かさを胸いっぱいに感じることができたことでしょう。


放射線量をみると、久喜市の除染基準をはるかに超える値が目に飛び込んで来ました。 飯舘村 どのような形で今後 存続することができるのでしょうか。




原発はただちに廃止すべき。 




原発は経済活動の上で必要と言う人は、飯舘村に来てこの現実を見てほしい。それでも原発を再稼働すべきと言えるでしょうか。




経済的利益が出れば何をしてもいいのか。そんなことはない。経済的利益は人間がしあわせになるための経済でなくてはならないと思います。それを、企業にも社会的責任があると言うのでしょう。




国と東京電力は、常に真実を伝え、全力を上げて、被爆した方への補償をすべきです。 何年かかろうともやりとげるその決意を示すべきです。




「原発はただちに 廃止することを 宣言すべき」、飯舘村を訪れ、あらためて確信した日となりました。




  石田としはる 記

2013.06.03 16:09:02

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