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夜の映像4題。から浮かび上がるものは・・・


新年は「ゆめ」を語ろう!
鷲宮の東大輪にある大輪神社には、年末から正月の期間限定で、「ゆめ」を書いた灯篭が立ち並ぶ。
「ユーチューバ―になりたい」とは、いまどきのゆめだ。いいね。
参道の両側には、子どもたちがしたためた「ゆめ」が描かれた灯篭が迎えてくれる。
あまりメジャーな神社ではないので、深閑としているが、それがまた心地よい。
いつも準備されているみなさんに感謝申し上げます。ありがとうございます。

  「差が歴然!」

夜の画像のついでに、「防犯灯」について。
市はLEDを広めると意気込んでいるようだが、何度となく設置を求めても一向にその気配がない所がある。上は桜田の住宅地。電柱1本置きにLED化している。下は再三取り上げても「区長からは設置要望が出ていないので」とつめたい。約650メートルの間に1か所ついているだけ。
 近所の方がジョギングや、散歩で使っている生活道路である。車両の通行は多く、スピードも出す地域だ。区長は、制度変更で「市の協力者」となったが、やはり、今後も強い権限は、変わらないのだろうか。

2020.01.12 16:23:46

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終わりなんかじゃない!これからだ!

力を合わせよう!
    鷲宮地区 わし宮団地内の「銀の笛幼稚園」跡

 銀の笛幼稚園の園児たちの声が途絶えて数年が過ぎた。とうとう取り壊しなのだろうか。1970年代の「あこがれの団地」生活を、働き、子育てしながら駆け抜けた世代は もう70代になった。
同時に全県でも突出した「地盤沈下地域」だった団地。大雨のたびに大量の雨水が、低くなった銀の笛幼稚園に押し寄せた。
 UR都市機構(当時、都市整備公団)は何らの手立ても講じなかった。園は、冠水し、水が引き、園内の清掃が終わり、安全衛生上、環境が整うまで幼児教育どころではなくなっていた。
 長い間、保護者や保育士さんたちの献身だけでしのいできた。

 私も地元議員として、UR都市機構に掛け合い、市行政との連携で遊水池造成の策や、道路かさ上げなどに向けて調査と協議を重ねていただいた。人事異動の影響などで協議が停滞気味の印象も受けた。(私の個人的見解)当時の双方の関係者にはこの場からも御礼を申し上げたい。

 当事者は、裁判も起こしたと聞いたが、万策尽きて当人も亡くなってしまった。わし宮団地は、幼稚園跡地も含めて3街区全体を1・2街区に集約化していく計画を進めている。

 URとしては、住宅の新設は行わないと決めているので、提案している街づくりの案に合意する業者が、買い取った後に開発を進めるのではないかと思われる。
 先ごろ、団地内商店街で孤軍奮闘してきた駄菓子屋「だるまやさん」が閉店した。最後の数日間、名残りを惜しむ子どもたちといっしょに御主人と語り合った。団地の子どもたちでいっぱいだった上内小学校も、教育委員会は廃校を決めた。
 でも誰もいなくなったわけではない。これからこそ、真剣な街づくりが問われている。そのためにみんなで力を合わせるしかないのだ! 
     杉野 記

2019.12.18 17:21:04

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悲しんでばかりいられないが

首里城炎上!なぜ?
 私は、勝手に沖縄を「第2の故郷」と思っている。以前勤めていた会社にウチナンチューが大勢いて、いま、友達は20人くらいいる。当時、気の良い人が多く、警戒心が不足している感じがして
「玄関の鍵くらいしたほうがいいよ」とよく言ったものだ。(カギをしないウチナンチュが多い)
沖縄に帰省すると3日3晩飲み明かすと言っていた。 今でも本土に来るときは何人かで泊まりに来てくれる。石垣の友人(ビギンの友達)などは「台湾が見えるんだよ」という。ウチナンチュやアイヌの人には縄文の血が流れているという。自分は先住民を追いやった好戦的な弥生系の末裔かなと、若い時は、恥ずかしかった。


 私の学生時代は「沖縄返還運動」の真ん中にいた。当時のスローガンは「核も基地もない沖縄を」であった。それは達成できたのか、いや、逆である。核兵器を搭載した戦闘機、艦船が我が物顔に今も日本を、沖縄を「占領している」。辺野古が造られ、普天間は永久に残るのではないか、と私は心配する。日本中の在日米軍基地の維持のため、毎年、7800億円が使われている。

 翁長さんを始め、沖縄の保守も革新も「もうだまされないぞ」と頑張ってきた。
 そんな沖縄、いつも本土の犠牲にされてきた沖縄の「心のシンボル」であった首里城が燃えてしまった。悲しくて沖縄のみんなに電話もできなかった。(次回に) 杉野 記

2019.11.10 18:03:37

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世界に誇る演奏家 辻井伸行さん

尊敬するピアニスト辻井伸行さん
 多忙の折、無性に 辻井さんのピアノを聴きたくなった。
本当なら、生で、この耳、目、肌 すべての五感で味わいたいところだが、それは不可能に近いので、結局はネットで動画を見ることになる。つい、ネットサーフィンを、つまり「はしご」をしてしまった。 ショパン、ラフマニノフ、リスト・・名だたる作曲家の意図するすべてをつかみ、楽譜を演奏で音に変え、聴衆に披露する。
 

 辻井さんは、みなさんよくご存知の通り、若くして バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝し、以来、ファンは爆発的に増えた。ネットではアイスランド、オーストリアなどでの演奏会を見ることができるが、文字通り「音楽の都」ウィーンでの様子は、中でも圧巻だった。
 オーケストラの楽団員も、この日本の若き天才的(彼は、決して天才ではない。2,3歳からピアノに触れ、以来、点字の楽譜を何度も何度も繰り返し、擦りきれんばかりに厳しい練習を重ねてきた結果、天賦の才能が開いたというべきである)ピアニストに負けじとばかり、渾身の演奏をした。チューバはうなりをあげ、ホルンは叫ぶ。その中を、バイオリンやフルートは、清流が流れるように奏でる。まさしく音の洪水のなか、聴衆は、それに酔いしれる。演奏のすべてがひとつの「生命体」となる。そのオーケストラの熱演をつねにリードしたのが辻井さんのピアノであった。

 演奏が終わり、総立ちの聴衆がアンコールを求めるなか、辻井さんが選んだ曲は、やはり、ラ・
カンパネラだった。超絶技巧の音符を刻む指先は、カメラも追えない。アンコール曲といえども決して妥協しない真摯な姿勢がまた心地よい。

 画像はすべてを伝える。耳の肥えたウィーンの聴衆が辻井さんのピアノを聴き、何人も涙を流していた。なんと辻井さんの斜め上にいた女性のフルート奏者のほほを伝わる涙を私は見た。
 演奏が終わり、辻井さんは総立ちの聴衆に、そしてオーケストラの全員に深々と、何度も何度もお辞儀をしていた。彼は、マナーも一流なのだ。
                     杉野 記

ピアノに触れ始めたころの辻井さん

2019.05.19 14:41:16

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稲作は、縄文時代からやっていた!


田植えは順調!だが・・
 連休前から、市内各所で田植えが行われている。この時期は、一般車よりもトラクターや田植え機の方が優先して道路を走る。そして 苗を植え終わった田んぼの上をツバメが飛び交い、鴨が泳ぎ回っている。

 長い間、見慣れた光景ではあるが、農家の方に話をに聞いてみると、決して穏やかではない。曰く、「いままでは、苗床を自分で作ってきたが、今年は農協から高い苗を買って植えている。1枚が千円から1800円もする苗が、1反あたり20枚は必要。米が7俵とれても10万円にはならない。
そこから払う肥料代や、手間暇考えると、儲けにはならないよ。俺の代でもう終わりだよ。」(去年もたしか、同じことを言っていた)

 どこでも聞く話ではなかろうか。農家は「1俵4~5万ならないと誰もやらない。」という。

 農業を続けるには、稲作農家に最低額の保障と、買い支えを国がしっかりやるしかない。世界の先進国は、どこも農業を大事にしているというのに、この国はどうなっているのか。  杉野 記(先祖は小作)


2019.05.09 16:38:54

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