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新型コロナウィルス感染症対策をみんなで進めよう

マスクがない!

 久々の投稿。 予算議会がようやく終わった。
 これは鷲宮地域内のあるお店のマスクコーナーである。いまだに全然ない!これはどういうことか。調べてみた。今までの日本製と思われていたマスクの8~9割が「中国製」(ゴムの部分は国産が半分くらい)だったので「生産に小回りが効かない」(あるメーカー)という。中国では日本など世界からマスクの大量注文が来ているので、ラインをフル回転させて輸出を始めている。
 しかし、その大半は、国など「大規模な行政」に、次は全国規模の量販チェーンストアに、などで「吸収されて、なかなか末端の町なかの小売店までは降りてこない」という。待つしかないのか。  
 久喜市は、前回の新型インフルエンザの対応で、マスクを大量購入し、備蓄が16万枚あったので、医療機関や高齢者施設、などに計8万枚を配った。しかし、コロナが長引くと、肝心の久喜市の窓口対応の職員や、保健センター、学校などで行き渡らなくなる恐れがある。どんどんは配れない。
 ところで私たちは議会前からコロナ対策を重視して、代表質問や一般質問で取り上げ、市に対しては、要望書を渡すなどしてきた。久喜市議会としてもコロナ対策で「議会の質問を取り下げて中止」したり、「会期を縮小したり」などの判断はせず、市行政には、しっかり予防対策を講じたうえで、行政としても、議会としても市民の命、健康を守るための議会開催を重視してきたように思う。(質問を止めたりした議会も、それなりの決断だったと想像はするが)
 私も2月の一般質問の中で「いまはパンデミックの前の状態かもしれない」と言った。PCR検査を保険適用させるよう国に急ぎ要請することも求めた。(答弁は、まずは予防を、などと言ったので「段階論を言ってる場合でない。すべてを急いでやるように」と強調した。

 国も国民から言われてようやく、検査を保険適用(収載)すると表明したが、まだ都道府県でのルールができていないので、保健所などでは「従来のまま(3月19日現在)」である。
 国・厚労省はPCR検査が「延べで3万3千件やった。」というが韓国などとは「けた違い」である。厚労省職員の言葉では、検査で大量に陽性患者が出たら、入院させるだけのベッド(体制の整った)が無いので、「医療崩壊」になる。(人工呼吸器も国内で3500くらいしかないと聞いたが本当なら、少なすぎる!)
 つまりこれまで医師・看護師・病院そのものを減らしてきた責任が問われることになるので、あまり検査はしたくない、のが本音だという。
 (イタリアが医師・看護師が足りなくて「医療崩壊」したというが、人口10万人当たりの医師・.看護師数は平均では、日本よりも多い)

 しかし、そんなことを言っている場合ではない! 「減圧室」を病院の駐車場に急きょ自前で設置した医療機関も出てきている。アメリカなどでは、病室が足りないので、とトレーラーハウスを大量にレンタルしていることが報道されている。人間やる気にさえなれば、いろんなことができる。「想定を超えた」というのは「想像力が足りない」だけである!

 長くなるので今回はこの程度にしたいが、今、学校での対応を柔軟にし、安全対策を取ったうえで、国の言うような「一律の行動規制」はしない、学校の再開も視野に入れる、という主張が出ている。これはこれでもっともだと思うが「ちょっと待って!」埼玉県(久喜市も)はほとんど検査をしていないから陽性が少ない、のであって、安全宣言は、決してできない。と思う。

 次回は「コロナで落ち込む経済回復には消費税をゼロに、しかない」と「残念だが、オリンピック・パラリンピックは2年後に延期を」など。     杉野 記

 

2020.03.20 18:23:22

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夜の映像4題。から浮かび上がるものは・・・


新年は「ゆめ」を語ろう!
鷲宮の東大輪にある大輪神社には、年末から正月の期間限定で、「ゆめ」を書いた灯篭が立ち並ぶ。
「ユーチューバ―になりたい」とは、いまどきのゆめだ。いいね。
参道の両側には、子どもたちがしたためた「ゆめ」が描かれた灯篭が迎えてくれる。
あまりメジャーな神社ではないので、深閑としているが、それがまた心地よい。
いつも準備されているみなさんに感謝申し上げます。ありがとうございます。

  「差が歴然!」

夜の画像のついでに、「防犯灯」について。
市はLEDを広めると意気込んでいるようだが、何度となく設置を求めても一向にその気配がない所がある。上は桜田の住宅地。電柱1本置きにLED化している。下は再三取り上げても「区長からは設置要望が出ていないので」とつめたい。約650メートルの間に1か所ついているだけ。
 近所の方がジョギングや、散歩で使っている生活道路である。車両の通行は多く、スピードも出す地域だ。区長は、制度変更で「市の協力者」となったが、やはり、今後も強い権限は、変わらないのだろうか。

2020.01.12 16:23:46

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終わりなんかじゃない!これからだ!

力を合わせよう!
    鷲宮地区 わし宮団地内の「銀の笛幼稚園」跡

 銀の笛幼稚園の園児たちの声が途絶えて数年が過ぎた。とうとう取り壊しなのだろうか。1970年代の「あこがれの団地」生活を、働き、子育てしながら駆け抜けた世代は もう70代になった。
同時に全県でも突出した「地盤沈下地域」だった団地。大雨のたびに大量の雨水が、低くなった銀の笛幼稚園に押し寄せた。
 UR都市機構(当時、都市整備公団)は何らの手立ても講じなかった。園は、冠水し、水が引き、園内の清掃が終わり、安全衛生上、環境が整うまで幼児教育どころではなくなっていた。
 長い間、保護者や保育士さんたちの献身だけでしのいできた。

 私も地元議員として、UR都市機構に掛け合い、市行政との連携で遊水池造成の策や、道路かさ上げなどに向けて調査と協議を重ねていただいた。人事異動の影響などで協議が停滞気味の印象も受けた。(私の個人的見解)当時の双方の関係者にはこの場からも御礼を申し上げたい。

 当事者は、裁判も起こしたと聞いたが、万策尽きて当人も亡くなってしまった。わし宮団地は、幼稚園跡地も含めて3街区全体を1・2街区に集約化していく計画を進めている。

 URとしては、住宅の新設は行わないと決めているので、提案している街づくりの案に合意する業者が、買い取った後に開発を進めるのではないかと思われる。
 先ごろ、団地内商店街で孤軍奮闘してきた駄菓子屋「だるまやさん」が閉店した。最後の数日間、名残りを惜しむ子どもたちといっしょに御主人と語り合った。団地の子どもたちでいっぱいだった上内小学校も、教育委員会は廃校を決めた。
 でも誰もいなくなったわけではない。これからこそ、真剣な街づくりが問われている。そのためにみんなで力を合わせるしかないのだ! 
     杉野 記

2019.12.18 17:21:04

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悲しんでばかりいられないが

首里城炎上!なぜ?
 私は、勝手に沖縄を「第2の故郷」と思っている。以前勤めていた会社にウチナンチューが大勢いて、いま、友達は20人くらいいる。当時、気の良い人が多く、警戒心が不足している感じがして
「玄関の鍵くらいしたほうがいいよ」とよく言ったものだ。(カギをしないウチナンチュが多い)
沖縄に帰省すると3日3晩飲み明かすと言っていた。 今でも本土に来るときは何人かで泊まりに来てくれる。石垣の友人(ビギンの友達)などは「台湾が見えるんだよ」という。ウチナンチュやアイヌの人には縄文の血が流れているという。自分は先住民を追いやった好戦的な弥生系の末裔かなと、若い時は、恥ずかしかった。


 私の学生時代は「沖縄返還運動」の真ん中にいた。当時のスローガンは「核も基地もない沖縄を」であった。それは達成できたのか、いや、逆である。核兵器を搭載した戦闘機、艦船が我が物顔に今も日本を、沖縄を「占領している」。辺野古が造られ、普天間は永久に残るのではないか、と私は心配する。日本中の在日米軍基地の維持のため、毎年、7800億円が使われている。

 翁長さんを始め、沖縄の保守も革新も「もうだまされないぞ」と頑張ってきた。
 そんな沖縄、いつも本土の犠牲にされてきた沖縄の「心のシンボル」であった首里城が燃えてしまった。悲しくて沖縄のみんなに電話もできなかった。(次回に) 杉野 記

2019.11.10 18:03:37

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世界に誇る演奏家 辻井伸行さん

尊敬するピアニスト辻井伸行さん
 多忙の折、無性に 辻井さんのピアノを聴きたくなった。
本当なら、生で、この耳、目、肌 すべての五感で味わいたいところだが、それは不可能に近いので、結局はネットで動画を見ることになる。つい、ネットサーフィンを、つまり「はしご」をしてしまった。 ショパン、ラフマニノフ、リスト・・名だたる作曲家の意図するすべてをつかみ、楽譜を演奏で音に変え、聴衆に披露する。
 

 辻井さんは、みなさんよくご存知の通り、若くして バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝し、以来、ファンは爆発的に増えた。ネットではアイスランド、オーストリアなどでの演奏会を見ることができるが、文字通り「音楽の都」ウィーンでの様子は、中でも圧巻だった。
 オーケストラの楽団員も、この日本の若き天才的(彼は、決して天才ではない。2,3歳からピアノに触れ、以来、点字の楽譜を何度も何度も繰り返し、擦りきれんばかりに厳しい練習を重ねてきた結果、天賦の才能が開いたというべきである)ピアニストに負けじとばかり、渾身の演奏をした。チューバはうなりをあげ、ホルンは叫ぶ。その中を、バイオリンやフルートは、清流が流れるように奏でる。まさしく音の洪水のなか、聴衆は、それに酔いしれる。演奏のすべてがひとつの「生命体」となる。そのオーケストラの熱演をつねにリードしたのが辻井さんのピアノであった。

 演奏が終わり、総立ちの聴衆がアンコールを求めるなか、辻井さんが選んだ曲は、やはり、ラ・
カンパネラだった。超絶技巧の音符を刻む指先は、カメラも追えない。アンコール曲といえども決して妥協しない真摯な姿勢がまた心地よい。

 画像はすべてを伝える。耳の肥えたウィーンの聴衆が辻井さんのピアノを聴き、何人も涙を流していた。なんと辻井さんの斜め上にいた女性のフルート奏者のほほを伝わる涙を私は見た。
 演奏が終わり、辻井さんは総立ちの聴衆に、そしてオーケストラの全員に深々と、何度も何度もお辞儀をしていた。彼は、マナーも一流なのだ。
                     杉野 記

ピアノに触れ始めたころの辻井さん

2019.05.19 14:41:16

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