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下に~したに 大名行列が通った栗橋宿 「利根川安全祈願祭」が

2016.11.07 土手の上に祀られている「水神宮」にて、利根川安全祈願祭が厳粛に行われました。
風もなく暖かい日かなと思い参列しましたが、土手の上は風もありとても寒い安全祈願祭でした。

毎年、この時期に行われています。


利根川安全会会長 栗橋地区の 原田恒雄様 開式の言葉

祈願祭には、利根川栗橋流域水防事務組合 管理者の田中市長、利根川上流河川事務所長など50名近くが参列しました。

神様への祈願祭ですが、全国一の流域面積を持つ利根川による水害の歴史を振り返る機会ともなってます。

水神宮建立の由来を紹介します。
 水は人類に豊かな恵を与えてくれるだけでなく、時には災害をもたらすおそろしいものです。水神宮は、このような畏れを鎮め、五穀豊穣を願う多くの人々によって、信仰されてきました。
 利根川の改修工事は、今から約450年前に東遷事業として本格的に着手され、1900年(明治33年)からは、大規模な改修工事が行われて来ました。こうした改修工事に伴い利根川沿川に祀られていた多くの水神宮が消失したため、1931年(昭和6年)工事竣工に伴い、総鎮守として合祀、建立されました。 その後、1947年(昭和22年)のカスリーン台風により大水害を契機に、より安全を高める改修工事が行われ、新たな場所が必要となり、このたび利根川を一望できるこの地に遷宮されています。


右のしるしは、水神宮のある場所です。

土手は以外に見晴らしがよく、富士山 秩父連山 浅間山 男体山 筑波山を見ることができます。

すぐ横を通る国道4号線と並行して、旧日光街道の栗橋宿、強化堤防で200件以上が移転しましたが、日光街道には本陣があり、日本の3代関所と言われている栗橋の関所もありました。(地図上部の八坂神社付近)
栗橋宿が立ち並んでいた現在の商店街を歩くと、今でも江戸時代の面影を見ることができます。水神宮はそれらを見つめて来たのでしょう。

暴れん坊の「利根川」を脇腹に抱えたがゆえに、何度も洪水にみまわれました。しかし、利根川があったことで関所が設置され、武家屋敷が並び繁栄もして来たと言える栗橋宿、現在は暴れん坊利根川を静めるために、その栗橋宿も移転が迫られ、昔の面影も消え去ろうとしています。

海から約130キロの位置にある利根川の土手に立つと、これまで刻んで来た歴史を水神宮とともに想い浮かべてしまうのは、わたしだけではないと思います。

一度 是非 いらしてください。 気持ちいい場所ですよ。
 安全祈願  二拝二拍手一拝 を「水神」様にお願いします。 

石田としはる 記

2016.11.07 19:27:40

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