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わしみや2選



稲とあやめ

そろそろ田植えも終わり、その脇には「あやめ」が花を咲かせている光景が目に付くようになった。互いに相性の良い植物である。典型的な「コンパニオン・プランツ」ではある。コンパニオンプランツには、実に組み合わせも多く、例えば「キュウリやメロン、スイカには、にらや葱」「キャベツやトマトには、ナスタチウム」など挙げれば切りがない。これらをいっしょに植えることによって、病害虫を防ぎ、成長促進効果もある。もっとも期待できるのは、農薬を減らせる効果があることである。日本は、世界で最も化学物質の輸入が多い国である。私は、農薬の使用量も多すぎると感じている。コンパニオン・プランツをうまく利用していくことは、いかにも日本的な発想であるし、家庭菜園でもできる手軽な手法である。もっと広めてよいと思う。

もぐら脅しがオブジェになった

「ここまでやるか!」と思わされるほど林立したもぐら脅しの「ペットボトル風車」である。
ここは、それほどもぐらが多いのだろうか?いずれにしてもよく回る。(最近のデジカメでは、せっかく回る風車のプロペラが止まってしまう。シャッタースピードを遅くすればよいのか・・)ここまで多いと、これはもうシュールなオブジェであり、芸術作品と言っても良い。
他の畑では、また違う形の「作品」が勢いよく回っていた。 杉野 記

2014.05.19 15:54:56

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鷲宮の田植え


田植えが始まった鷲宮の風景

ついこの前には大雪が降り、ハウスなどに大きな被害が出たばかりの同じ地域で、田植えの作業が始まった。つばめが飛び交い、かえるが鳴き交わしている。数千年も続いてきた農村の変わらぬ一風景である。選挙があろうとなかろうと、歳時記は変えることのできない先人が獲得してきた「大きな決まりごと」である。 TPPの交渉では、政府が国会決議を踏みにじってアメリカと「歩み寄り」を画策していると報道されている。久喜市は農業を「基幹産業」と位置付けた。市議会では国政のことを語るな、という残念な人たちも存在する。しかし、国政を抜きに地方の政治や市民の暮らしは存在しない。日本の農業をどう育てるかは、国も市も同じくらい責任があると思う。 杉野 記

2014.04.30 12:52:09

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いまどきの子どもたち


「いまどきの子どもの遊び方」考
 この写真は、5人の小学生たちが「友達と遊んでいるところ」である。通りかかった私は、一瞬、何をしているかわからなかったが、彼らに聞いてみると「みんなで集まってゲームをしているんだよ」で「了解」。
 寒い日だったが、その場所は、日当たりも良く、風も来ない。太陽がまぶしいので上着で影を作ってゲームの画面が見やすくしているのだという。 いま、この子たちにとっては至福の時間なのだ。おじさんが決して邪魔をしてはいけないのだ。 しかし、遊び方も変わったものだと、考え入ったしだいである。
  写真をブログに掲載してもいいか尋ねると「いいよ、でもうまくとってね」との返事。さて、うまくとれているでしょうか。
                       杉野 記

2014.02.09 15:03:08

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わしみや「冬の三題」

鷲宮・上弦の月

いつもの赤旗配達の途中のひとコマ。午前4時ころ。    八甫から夜空を見上げると、そこには“上弦の月”が。うーん、、、なんとも言葉にならない。空気さえ凍てつくような霜寒の空間に、月は独りきりで存在を主張している。万葉の時代から月は日本人のこころを奪い続けてきた「地球にいちばん近い天体」だ。「 これからもよろしく」としか言えなかった。

わが44区・自治会のツリ―

 桜田ニュータウン「駅前通り」が鷲宮の44区。わが「終の棲家」となるであろう集落である。みーんな良い人ばかり。“隣人は選べない”というが、わたしにとっての幸運というべきか。ことしも古参のメンバーがツリ―のイルミネーションを飾ってくださった。 いつもありがとうございます。 ツリーが輝いて見えるのは、それを地域の為に演出してよろこんでもらいたいという人の営みや心遣いがあることを知っているからにちがいない。

 鷲宮・人権のつどい

 12月14日、西コミで「人権のつどい」が開かれた。恒例の小中学校生の作文朗読は、みんなに「満点」だ。写真は、 鷲宮保育園の園児たちによる演奏。(写ってない園児のみなさん、ごめんなさいね)「すごくれんしゅうしたんだろなー」と思う演奏でした。 いつも応援しているよ。   ところで、「鷲保」わしほ)のこどもたちは、わし宮団地にも多くいる。今開会中の議会に、団地自治会から「家賃値上げをしないように」という趣旨での請願が出されている。先日の常任委員会では、悲しいことに請願に反対した議員が多くいた。 もちろん、考えがあっての判断をしたのだろう。しかし、わたしはこの子たちの悲しむ姿を見たくない。 団地は、多くの居住者にとって「最後のとりで」なのだ。  杉野おさむ 記

2013.12.17 16:02:51

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 課せられたものは大きい


       戦争展での「熊谷空襲」語り部
 
 去る11月10日、菖蒲アミーゴで4日間にわたり平和を願う「戦争展」が開催された。語り部の方は熊谷空襲の悲惨な体験を語り、平和な世の中でこそ個人も社会も「花が開く」ものであることを強調していた。
 写真は、氏が教職として、空襲の話を聞かせた子どもたちに「聞いたことを絵に描く実践」をした際の絵である。こどもたちには「将来、この絵を平和のために使うから、」と了解を得て保存していたそうである。
絵をお見せできないのがとても残念である。 極めて感受性が豊かでしかも、「凄みのある描写」の絵ばかりである。平和を語り継ぐということは、一種、工夫も必要な戦いであると感じた次第である。

         映画「はだしのゲン」を観る参加者
 戦争展では、「はだしのゲン」の実写版映画を鑑賞した。中井貴一が主演であったが、わたしは、恥ずかしながら、彼がこんなにも激しく、情念すら感ずる演技をするような役者だとは知らなかった。
 子役のふたりも最高によかった。改めて映画の持つ力を再認識させていただいた。 いまさらながら、ではあるが、あの原爆は、広島も長崎も「アメリカの生体実験」であった。 大事な資料はGHQが持ち去ってしまったが、強烈な放射線被ばくは、ヒトの染色体異常をもたらし、孫子の代まで苦しめて行くという「人道に反する化学兵器」を使ったという事実を消すことはできない。わたしたち一人一人が「ゲン」になって頑張らねばならない。  もちろん、すべての国の核兵器を無くすまで。
 星になったアンパンマン
 やなせたかしさんが逝ってしまった。しんぶん赤旗にも登場し、意気軒昂だったのに。  残念。  メディアやブログで氏の功績を讃え、死を惜しむ声が絶えなかった。 書こう、と思いつつ、なかなか決意できなかった。ひもじい人に自分の顔を分け与えるという「究極の自己犠牲」である。歌詩がすばらしいことは言うまでもない。くじけそうになる子どもや大人にさえ、勇気と希望を与えてくれた。
 そのほんの少しだけでも見習いたいと思う。  (杉野 記)

2013.11.15 16:52:49

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